きもち

ツイッタのように毎日のキスマーク

10月11日

久しぶりに文字を書きます。
この日記はたいして誰にも見られないから気楽です。Twitterのようにタイムラインに現れるわけでもないし、インスタグラムのように何か写真を載せるわけでもなく。
ただソーシャルネットワークサービスの自己紹介欄から、ワンステップ踏んで飛んでこないと来れないひと手間かかる場所。それでも、なにかしら、見てくれるひとがいるのかなとおもうと、そういったひとのために書いているのもあるのかもしれない。わたしの日常。色味の無い、でも、めまぐるしく味が変わる日常。


最近のことを書こう。
わたしは人間として犯してはいけない罪を犯した。決して、裁判ごとや、罰金になるようなことではないし、警察にだってお世話になっていない。裁かれないからこそ、許されない罪。
そんな罪を、なんども、なんども繰り返した。繰り返しては自分の存在をたしかめていた。繰り返したあと、ああ、まただ。と後悔してしまう。許してなんてもらえないのに、自分が抱えきれない大きさまで膨らんでしまうと、自首するしかほかならなくなってしまう。誰か助けて、と言わんばかりに。ただ、誰かにすがって生きてる。弱い。弱い。ちっぽけだ。

変われない。わたしはこういう人間だ。なんて言っては逃げて、過去の自分を正当化しようとしていた。わたしの人生に、わたしの恋愛に、だれかが関与している以上、わたしは自己中心的に行動できないことは分かっていたはずなのに。
自分がされて嫌なことはしない。
こんな基本的なことが欠落しているこんなわたし、誰が許そう。わたし自身、わたしを許してない。でも君は、わたしを何度でも許す。許されることは、恨まれるより、つらいんだ。と、はじめて知った21歳秋でした。
まだまだ若い。こうやって文字にすると、21歳なんて、まだまだ青臭い。青春の匂いだってまだ思い出せる。
いつからこんな大人になってしまったのだろう。人の裏切りや、偽りの愛や、変わってしまう関係性や、社会の、大人たちの、人間の、ありとあらゆる汚い部分をたくさんみてきた。たくさん経験してきた。恋や、人間関係は、薄いものだと感じたときもあった。いいこと、悪いことのボーダーラインが日に日にぼやけて、薬の効果が切れるように、もっともっと、と求めてしまい、麻痺してしまう。気づいたときにはもう遅い。罪は消えない。
まともにいきてるひとが羨ましくおもう。キラキラ眩しい。
このままじゃだめだ。なにも変われない。なんどもくりかえす。
かわりたい。かわりたい。変わりたい。

そう気付くまでがスローペースで本当にわるくおもう。ごめんね。
ただ、君が最後に、わたしを許してくれるのなら、わたしを殺してくれとさえ願う。生まれかわり、光のスピードで成長し、君とまた出会い、そして過去の罪もなく、本当の真っ白な心で君を愛したい。
そうしたら、
君はほんとうに、わたしを許してくれるだろうか。
いや、許さないでいい。許されることなんてない。
憎んで、恨んで、わたしを何度でも君の手で汚してくれ。


死ぬときは、窒息死がいいなあ。
酸素が脳にいかなくなって、意識が遠のくあの感じ、心地いいんだ。



なんてね。まだまだやりたいことがあるので死ねないし、汚れた心を洗濯してあげようとおもう。君と手を握っても、君の手が汚れないように。わたしは君に浄化されてる。ありがとう。

まだ見ぬ世界、未来、いろんなことを知りたい。人生は長い。私たちは若い。ただそれだけ。それ以上も、それ以下もない。

やれること、やりたい。

おやすみ。夢で会えたらわたしをどうする?f:id:amour211:20141012055657j:plain